公家行列を仕立てた今村の降札
どんな伝承か
今村では慶応三年十月十二日に不動明王の札が降ったとされるが、祝いの催しは同じ月の二十八日に行われた。十一月三日から十二月半ばまで断続的に降り続け、二十九軒へ合わせて五十九枚、種類は二十六にのぼった。札が降った家は門口に竹を立てて注連を張り、通りがかりの者にまで酒食をふるまう。村じゅうが祭り気分になり、上島村からは踊り込まれ、宮所村や宮木村へは踊り込んでいった。村からは公家に扮した行列も出て、横川村の瑞光寺まで手踊りをしながら繰り出したという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。