手箱山を開いた神主の敬神と霊能
どんな伝承か
宮地常磐は三十三歳まで武術を好んでいたが、砲術の師田所氏に神職の本分を怠っていると諭されて心を入れ替え、毎夜子の刻から起きて寒暑を厭わず祈りを捧げるようになった。十年におよぶ修行の末に伊弉諾尊への拝謁を得て神仙の道に通じ、大山祇命の依頼によって土佐国吾川郡安居村の手箱山を開山し、大山祇命を鎮祭したという。子の堅磐(水位先生)もまた神仙界に出入りする霊能を受け継いだ。
原典より
『我父常磐大人三十三歳までは武術を好みて、剣術砲術弓術には別けて其道に達し、何れの処にても先生と仰ぎ敬されしに、父が砲術の師たりし田所氏或日父を招きて云ひけらく、足下神主の家に生れながら神明に仕ふる勤めを捨て、年来武術を…—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)