山岡鉄舟の額の透視念写
どんな伝承か
大正六年二月十二日、福来友吉は浅草観音堂裏に掲げられた山岡鉄舟の額の文字を透視し乾板へ念写するよう依頼状を添え、厳重に封印した木箱を神戸の三田光一のもとへ書留小包で郵送した。二月十八日午後八時半頃、大垣町の森恭造宅で実験が行われ、可児陸軍少将や竹内安八郡長ら立会人多数の前で、三田は梱包を解かずに内容物の形状や封印の様子まで一分一厘違わず言い当てた。さらに額の文字を「南無観世音」と透視し、その書態や彫刻の際にできた刀痕まで書き添えて送り返してきたという。届いた乾板を現像すると、果たして南無観世音の五字が明瞭に浮かび上がった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
三田光一の念写と透視能力に関する研究記録(福来友吉・昭和初期(1920年代~1930年代))
本書は心霊研究者・福来友吉が、霊能者・三田光一の念写および透視能力を研究した記録である。大正6年から昭和5年にかけて、名古屋県会議事堂、尼ヶ崎実科高等女学校、日本地下水協会など複数の公開実験を実施し、厳重に封じた乾板やフィルムへの念写、遠隔透視など、科学的な検証方法を用いながら超常現象を記録した。また京都嵯峨の船形屋敷における霊地の調査、故人の肖像念写など、霊媒現象の多角的な研究を展開。西洋の心霊写真(マムラー氏)との比較考察も含む。