藤川宿に降った二十一種六十六枚の札
どんな伝承か
藤川宿では慶応三年七月二十四日の昼八ツ時、東町の甚八宅の裏藪に伊勢神宮の御札が降った。甚八はその年の伊勢代参人である。町内では晦日まで祭を続けたが、その後ひと月余り間があき、九月三日から本格的な降札がはじまった。盛りは九月下旬から十月末で、十一月に入ると急に減り、十二月十四日でひとまず収まっている。翌年にも四月に二枚、七月に一枚降った。降った札は二十一種六十六枚。最も多いのは秋葉山にかかわる二十五枚で、伊勢神宮の十七枚がこれに次ぐ。ほかに神仏の像も六体降ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。