岡崎周辺の御鍬太神宮百年宝祭
どんな伝承か
慶応三年、岡崎領周辺では御鍬百年祭が各村で展開した。碧海郡下中島村(現岡崎市中島町)の浄光寺文書には「六月頃より豊年御桑祭と称し、酒・餅を施し、大祭、狂人のごとし」とある。額田郡藤川宿(現岡崎市市場町)の明星院文書にも、慶応三年九月二十三日に赤山社で百年祭を勤めたとの記録が残り、この百年祭がのちのお札降り・ええじゃないかの騒ぎへとつながっていったとされる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。