下中島村の豊年御桑祭
どんな伝承か
三河国碧海郡下中島村の浄光寺に伝わる「慶応三年記」には、慶応三年の「六月頃より豊年御桑祭と称し、酒・餅を施し、大祭、狂人のごとし」と記されている。御鍬祭は豊年祭の一種で、神輿にのせる御鍬を桑の木でつくることから御桑祭と書いたのであろう。この記事は慶応三年の御鍬祭としてはもっとも早い事例で、御鍬百年祭にあたるとみられる。酒や餅を施して狂ったように騒ぐ祝祭が、御札降りに先行して行われていたことを示している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。