水稲荷の森に構えた宗良親王の陣
どんな伝承か
新田義貞の遺児である義宗と義興、それに甥の脇屋義治らは、当時信濃にいた後醍醐天皇の第三皇子、四十二歳の宗良親王を担いで兵を挙げた。正平七年二月のこと、その親王方の軍勢が、当時の水稲荷神社の境内にあたるこのあたりへ陣を敷いたと伝えられる。親王は征東将軍として関東へ進んで笛吹峠に本陣を置き、新田・脇屋の勢は新潟と群馬の大軍を率いて鎌倉へ迫った。神社の前には旗立の桜、かぶと掛けの梅と呼ぶ木も残っていたという。もっとも親王自身は笛吹峠にいたはずで、ここを通ったのは一隊であろうと本書は述べている。
原典より
場所 戸塚町一丁目 早稲田大学商法研究部建物の敷地時代 南北朝時代 正平七年(一三五二)二月新田義貞の遺子義宗、義興、それにおいの脇屋義治らは、当時、長野県におられた後醍醐天皇の第三皇子で四二歳の宗良親王を擁立して旗上げ…—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。