海だった低地と船つなぎ松
どんな伝承か
竜泉院の北にある山は、昔はもっと道の方へ張り出しており、そこに大きな松がそびえていた。今の早稲田あたりの低地は、そのころ海であったという。平将門の乱を平定した藤原秀郷が都へ上る途中、軍船でこの海を渡り、この松に船をつないで上陸した。そこで土地の人はこの松を船つなぎ松と呼んだ。秀郷はまた、持仏であった慈覚大師作の毘沙門天像を納める堂をこの山に建て、毘沙門山と名づけたと伝わる。松は江戸時代に枯れ、山も昭和八年の道路拡張で崩されてなくなった。
原典より
時代 平安時代 天慶四年(九四一)竜泉院の北山は、むかしもっと道の方へつきでており、そこに大きな松がそびえていた。—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。