家康の遺骸を迎えず廃された東明寺
どんな伝承か
新吉水にはかつて東明寺という寺があり、藤原秀郷の墓や多くの仏像、什器があったが、寺が絶えた際にそれらは山形村の普門寺へ送られたと伝わる。廃寺の理由には三つの説がある。一つは、元和三年三月に徳川家康の遺骸が久能山から日光山へ移された折、関東の寺がこぞって出迎えたのに大寺の東明寺だけが出なかったため、幕府に咎められ寺領を失ったというもの。二つめは、遺骸が東明寺に入るはずが急に春日岡の寺へ変わり、それを恨んで法要の召しにも応じなかったため廃されたという説。三つめは、慶長十九年に佐野信吉の所領が没収された際、寺領も失われたためとするものである。
原典より
元和三年(一六一七)三月、徳川家康の遺骸を駿河国(静岡県) 久能山から日光山へ移した時に、関東の寺院は皆奉迎したが、東明寺は大寺なので奉迎しなかった。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)
『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。