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間者の僧が隠れ住んだ随岸坊の岩窟

所在地栃木県佐野市戸奈良町随岸坊(鹿島神社)
年代天正五年(1577)
登場上杉謙信、随岸坊
出典田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説

どんな伝承か

天正五年三月、上杉謙信は一万五千の兵で唐沢山城を攻めようと石塚の林に陣を敷いた。謙信は以前面倒を見た僧の随岸坊を岩崎の東昌寺に間者として置いていたので、陣へ呼び寄せて城の様子を聞いた。随岸坊は、城は四方が険しいが高鳥屋山から弓や鉄砲を浴びせれば落とせると進言し、手勢二百余りを率いて山に登って攻めかけた。だが城方はわざと谷底へ矢を射て敵を谷へ誘い込み、一斉に討って上杉勢を総崩れにしたので、謙信は城攻めを諦めて退いた。見放された随岸坊は、僧の身で間者を務めた負い目から寺にも戻れず、戸奈良の鹿島神社の西の山腹の岩窟にこもって懺悔の余生を送ったといい、その辺りは随岸坊という地名になっている。

原典より

この岩窟は、戸奈良鹿島神社の西の山の中腹にあって、この付近一帯が随岸坊という地名になっている。—— 田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説(田沼町(編)・田沼町史)

『田沼町史 第1巻(自然・民俗編)――伝説』は、田沼町が編んだ町史第一巻のうち、伝説の節の大半とことわざの節の冒頭を収めたものである。僧や鎧の祟り、神社の霊験、佐野宗綱の出陣、藤原秀郷ゆかりの井戸、義民、地名の由来、落人、寺社の縁起など、町内各地に伝わる話を地名や家名とともに記す。伝説は英雄偉人・義民・地名・落人・寺社縁起などの項に分けて並べ、ことわざの節は調査員の協力で集めたものを五十音順に掲げるが、いの項で終わっている。

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