鉱毒の村の軒先を鳴き歩く狐と貉
どんな伝承か
足尾銅山が渡良瀬川に鉱毒を流し続けた頃、足利郡吾妻村の農民庭田源八は『鉱毒地鳥獣虫魚被害実記』に、大寒十二月の節になると貉や狐が多く人家の軒端や宅地を鳴きながら歩き回ったと記した。貉ははがいと鳴き、狐はこんこん、いんくくくと啼き、いずれもかまびすしかったという。鉱毒の被害で野に鼠も虫もおらず、魚も少ないためであろうと源八は見ている。以前は屋敷回りに埋めておいた人参などを掘り出して食う獣が多かったが、鉱毒の害の後は影さえ見えなくなったとも記している。
原典より
大寒十二月の節に相成りますると、貉や、狐などが、多く、人家軒端や、宅地などを多く回り、歩行きました。—— 幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶(川村邦光・1989年(平成元年))
『幻視する近代空間 ―迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』は、川村邦光が近代日本の民衆の心性をたどった論考で、あとがきは一九八九年十二月の日付である。明治の「血税一揆」の流言、トラホームと〈迷信〉、狐憑きと精神医学、「脳病」「神経病」、座敷牢と精神病者監護法、芦原将軍の誇大妄想と出口なおの神がかり、祖先教と靖国による霊魂の管理を、新聞記事や民話、医学書、調査報告から読み解く。はじめにの後に三部と終章を置き、あとがきで結ぶ。