弁天堂のあった亀ヶ池の言い伝え
どんな伝承か
稲付城が廃絶したあと、亀ヶ池は北側に堤を築かれ、稲付や赤羽の水田を潤す用水池となった。面積は七千坪近く、老樹の茂る翠の崖の一角には弁天堂も祀られて、幽雅な眺めだったという。旱天のときは水争いの中心となり、流血の騒ぎに囲まれたこともある。この池には不思議な言い伝えが残っていた。幕府が倒れて明治になった頃、池の近くの赤羽村に杉浦金助という気のいい馬子が住んでおり、昼なお暗い小径で美しい女に呼び止められる。池はやがて大正元年に埋め立てられ、工場地帯を経て料亭の並ぶ町へ変わった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
行楽と史蹟の武蔵野(寺島裕・昭和初期(1920年代~1930年代))