荘川の山崩れの下に埋もれた町
どんな伝承か
柳田国男は六月の初め、飛騨の白川村に入り、名のとおり水の色の青白い荘川の岸を下った。飯島や荻町の盆地を過ぎると両岸の山は再び迫り、椿原から下流は人家のない峡谷が長く続く。その岸の一か所に、山頂からまっすぐ切り落としたような大きな崩れがあり、裾には崩れた土でできたわずかな平地に、二三十年ほどの赤松林があった。荷持ちの越中のボッカによれば、この山崩れは百年ほど前のことで、土の下には一つの町が埋まっているという。水害の後に来てみると跡形もなかったそうである。
原典より
自分の荷持は越中のボツカであつた故に、詳しい事は知らなかつたが、此山崩れは百年ばかり前のことで、この土の下には一つの町があつたと云ふ。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)
『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。