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須沢の暴風雨と難破船

所在地新潟県糸魚川市大字須沢
年代明治42年6月
登場高橋宮二
出典修養と通力

どんな伝承か

六人の遺体の葬送が済んで三日目、著者は北城村を発ち、越後糸魚川へ出て日本海岸を迂回する旅に出た。姫川の激流を右手に見ながら十三里を歩き、午後四時半に糸魚川町に着いたが、そこには泊まらず、さらに一里歩いて次の宿駅である須沢の旅館に入った。その夜十二時過ぎから暴風と豪雨となり、日本海沿岸は大荒れになった。午前二時頃からはいっそう激しく、表通りでは警鐘が鳴り、叫喚が上がり、難破船の騒ぎが始まった。宿の主人は、海岸で漁船が十二、三艘も流失し、漁家の倒壊も少なくないと報告した。雨は正午頃にやんだが風は収まらず、大道を通る者もなく、著者は思わぬ休養を旅宿で送ることになった。

原典より

イヤモー大變な騒ぎてす、海岸ては漁船十二三艘も流失し漁家の倒壊も少なくないソーデス—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))

『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。

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