帝大講堂に響いた千里眼否定論
どんな伝承か
明治四十四年三月二十一日、帝国大学の講堂で開かれた学術会で、理学の中村博士が千里眼は断じて信じるに足らず、透視も念写も不可能だと講演した。説明の材料は手品と幻燈だったという。著者はこれを学者の態度として疑う。自分にできないから他人にもできないというなら、一日十里歩けない者が他人の徒歩を否定するのと変わらない。手品でできることが精神の働きでも起こるからこそ不可思議であり、研究に値するのだと説く。すでに実験を重ねて詐欺でも手品でもないと確かめた人々を、この断定は消極的に侮辱するものだと憤った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。