日本ァルプス探險旅行の開始と暴風雨遭遇
どんな伝承か
大黒鉱山の葬送を終えて三日目、著者は信州北城村を発って姫川沿いの道を歩き、十三里を一日で踏破して越後の糸魚川町に着き、さらに一里先の須沢の宿に泊まった。その夜半から日本海沿岸は暴風雨となり、家を覆すほどの風に警鐘と叫び声が響き、海岸では漁船十二、三艘が流され漁家も倒れたと宿の主人が告げた。風に閉じ込められて一日休んだのち、親不知の難所を越えて越中の舟見町に着くと、粗末な身なりを見た宿の老婆に泊まりを断られた。著者は鉄道請負の主人の先発だと出まかせを言い、一番の大座敷に通されたという。
原典より
海岸ては漁船十二三艘も流失し漁家の倒壊も少なくないソーデス—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。