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宮久保の橋名を持たぬ村

所在地神奈川県大和市上和田宮久保
年代昭和(二月十二日)
登場柳田国男
出典定本柳田国男集 第3巻

どんな伝承か

二月十二日、柳田国男は柳明からの帰り道、境川を挟んだ対岸の宮久保という村で、橋の下で葱を洗っていた四十過ぎの女に橋の名を尋ねた。女は、橋に名前は無く、村の名は宮久保だと答えたという。柳田は、中国地方のいわゆる『と抜け』とは別に、もともとこういう答え方があったのではないかと以前から考えていたが、はっきり耳にしたのはこれが初めてであった。同じ帰り道、下瀬谷の北村という集落では、道を尋ねた子どもに、礼を言わないのかとたしなめられたことも柳田は書き留めている。

原典より

一つは柳明の対岸の宮久保といふ村で、橋の下で葱を洗つて居た四十余りの女に橋の名を問ふと「橋には名がありません、村は宮久保さう謂ひます」と答へた。—— 定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

定本柳田国男集 第3巻(柳田国男・定本柳田国男集)

『定本柳田国男集 第3巻』は、柳田国男の紀行・日記・随筆を集めた著作集の一巻である。相模・武蔵の村々を歩いた「水曜手帖」、昭和二十三年八月の自序を持つ「北国紀行」、明治四十三年の「五十年前の伊豆日記」、国際聯盟の委任統治委員会に勤めた大正十一年の「瑞西日記」と「ジュネーブの思ひ出 その他」を収める。後半の「菅江真澄」は昭和十七年二月の序を付け、真澄の著述と旅の跡を年を追ってたどり、写真解説を添える。

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