村の半分が海に沈んだ小塩津
どんな伝承か
その昔、小塩津が灘崎と呼ばれていたころには、磯岩が沖合はるかに湾曲して続いて入江となり、波も静かで風光もよく、伊勢へ渡る舟に喜ばれる港であったという。大宝二年(七〇二)、持統天皇がこの地方を巡幸した際、この海岸の眺めを大いに気に入り、そのときの言葉によって日吉神社が勧請され、村の名も越津と改めたと伝えられる。ところが淳和天皇の御代、天長四年(八二七)七月十三日、この地方に大地震が起こって越津の海岸は大陥没し、美しく湾曲していた磯岩も、賑やかだった家並も半分以上が海底に沈んでしまった。危うく難を免れた人々は北へ避難し、地名も今の小塩津と改めたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渥美町史 考古・民俗編(現代(町史民俗編))
愛知県渥美町の伝説。本能寺の変で伊賀越えした家康が松に掛けて休んだ鬼松と軍資金埋蔵の歌、念力で野いばらのとげが落ちて逃れた権現森のとげなしばら、頼めば膳を貸す膳貸せ岩、白馬に化けて池に引き込もうとした池の主、大地震で村の半分が海に沈んだ小塩津、漁師が拾った光る島の石のとうどうさん、心中に失敗し身を投げた娘の火の玉のおよしぼうこんなど、武将伝説・池の主・霊石・亡霊の伝説を収める町史民俗編。