山下の井戸(秀忠の清水)
どんな伝承か
慶長十五年(一六一〇)春、二代将軍秀忠は狩のため田原城へ着き、大久保山や蔵王山などで狩をして、二月二十二日には山田の泉福寺を宿とした。翌二十三日は伊良湖岬方面へ繰り出し、石塔山頂の大岩で休んだのち、西山を多坪の馬場まで一気に狩り寄せ、鹿五十頭と猪二頭を得た。二里あまりを夢中で馳せたので一同は喉の渇きに苦しんだ。すると秀忠が地面を指し、そこを掘れば清水が湧くというので、数名が手で三尺ばかり掘ってみると、不思議にも清らかな泉がこんこんと湧き出た。以来、領主清水権之助が竹垣で囲って「するじ井」と称し、この井戸は山下の井戸と呼ばれてきた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渥美町史 考古・民俗編(現代(町史民俗編))
愛知県渥美町の伝説。本能寺の変で伊賀越えした家康が松に掛けて休んだ鬼松と軍資金埋蔵の歌、念力で野いばらのとげが落ちて逃れた権現森のとげなしばら、頼めば膳を貸す膳貸せ岩、白馬に化けて池に引き込もうとした池の主、大地震で村の半分が海に沈んだ小塩津、漁師が拾った光る島の石のとうどうさん、心中に失敗し身を投げた娘の火の玉のおよしぼうこんなど、武将伝説・池の主・霊石・亡霊の伝説を収める町史民俗編。