宵に鳴いた鶏と戸田家の吉事
どんな伝承か
和地の集落はもと三島神社の宮の前にあり、和地の庄と呼ばれたころの庄司の屋敷跡だと伝わる。戦国の世になり、老津城主戸田忠次の次男尊次は十七歳で家康に従って小牧・長久手の役に出陣し、その功で天正十二年に和地五百石を許されてここに城を構えた。天正十八年の秋、城内で飼っていた鶏が一斉に宵鳴きをして人々を驚かせる。宵鳴きは凶事の前触れとされていたので皆が案じたが、翌日、家康の使者が来て、父忠次が伊豆下田五千石の領主になったので同道せよと告げた。以来、戸田家では鶏の宵鳴きを最上の吉兆とするようになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
渥美町史 考古・民俗編(現代(町史民俗編))
愛知県渥美町の伝説。本能寺の変で伊賀越えした家康が松に掛けて休んだ鬼松と軍資金埋蔵の歌、念力で野いばらのとげが落ちて逃れた権現森のとげなしばら、頼めば膳を貸す膳貸せ岩、白馬に化けて池に引き込もうとした池の主、大地震で村の半分が海に沈んだ小塩津、漁師が拾った光る島の石のとうどうさん、心中に失敗し身を投げた娘の火の玉のおよしぼうこんなど、武将伝説・池の主・霊石・亡霊の伝説を収める町史民俗編。