墳墓の祟りを鎮めた芝崎道場
どんな伝承か
『御府内備考』によれば、神田明神のほとりには延暦のころ了円法師が開いた天台宗の寺があった。天慶の乱の後、平家ゆかりの者がそこに将門の墳墓を築くと、亡霊の祟りが激しく天変地異が続いた。嘉元三年、東国を遊化していた時衆の真教上人が供養を行い、蓮阿弥陀仏の法号を追贈して板碑に刻み、塚の傍らに建てたところ、ようやく祟りは治まったという。この寺は以後、時衆の芝崎道場として栄え、神田明神はその鎮守として尊崇されることになった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・(平将門伝説の研究書))
梶原正昭・矢代和夫『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』を、論考の節単位で全67事例として収録した研究書(地域伝説集ではない)。平安中期の平将門(承平天慶の乱)をめぐる伝説を、英雄の死と伝説の誕生(冥界・調伏・怨霊・首の怪異・七人の影武者・妙見信仰・石化)、落人たちの運命(将軍太郎良門・如蔵尼の堕地獄と救済・滝夜叉姫・桔梗塚の寵妃・後裔と将門遺跡)、将門伝説の展開(馬の文化・関東一円の分布圏・文芸化・首塚の祟りと再評価)として論じる。