首無武者の祟りと明神の起こり
どんな伝承か
首を追って武蔵まで来た将門の胴が荒れて郷民を悩ませたので、一社を建てて明神と号し、後にそこを神田と呼んだ――『将門純友東西軍記』はそう記す。首を失った武者がさまよう話は各地にあり、埼玉県入間郡の名栗渓谷にもよく似た伝えがある。剣ノ峯へ登る道のショウブ平で秀郷に斬られた将門の首は江戸へ飛び、胴だけが山を越えて名栗の部落に逃げ込んだ。立ち寄った農家の主人に追手へ告げるなと言い含めたのに、主人は約束を破って秘密を話した。そのため、その家は代々祟りを受けることになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・(平将門伝説の研究書))
梶原正昭・矢代和夫『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』を、論考の節単位で全67事例として収録した研究書(地域伝説集ではない)。平安中期の平将門(承平天慶の乱)をめぐる伝説を、英雄の死と伝説の誕生(冥界・調伏・怨霊・首の怪異・七人の影武者・妙見信仰・石化)、落人たちの運命(将軍太郎良門・如蔵尼の堕地獄と救済・滝夜叉姫・桔梗塚の寵妃・後裔と将門遺跡)、将門伝説の展開(馬の文化・関東一円の分布圏・文芸化・首塚の祟りと再評価)として論じる。