鳥取吉岡温泉での所信表明
どんな伝承か
昭和二十年十二月から翌年一月にかけて、出口王仁三郎は保養のため鳥取県の吉岡温泉におもむいた。同地で新聞記者の来訪を受けた王仁三郎は、自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりであり、日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧を受けたと語った。さらに、国教としての神道はこれまでの解釈が間違っていた、自分の都合のよい神社を偶像化して国民に無理に崇拝させたことが日本を誤らせたと批判し、いま軍備を失ったことには世界平和の先駆者としての尊い使命が含まれていると説いた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。