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王仁入蒙・満蒙経綸の宣言

所在地京都府綾部市
年代1924年(大正十三)二月十三日
登場出口王仁三郎、植芝盛平、植芝盛平ら、同行の幹部・合気道の創始者
出典出口王仁三郎

どんな伝承か

一九二四年(大正十三)二月十三日、責付出所中の身であった出口王仁三郎は、法学士の松村真澄、合気道の創始者・植芝盛平、名田音吉らの幹部を従えて、ひそかに日本を脱出し、朝鮮経由で奉天へ向かった。出発に先立ち、王仁三郎は綾部で家族・幹部・信者を集めて告別の演説を行ない、神勅を奉じて蒙古の地に理想郷を築くという『満蒙経綸』を述べた。家族も大半の幹部も、この『入蒙』についてそれまで何も知らされておらず、その演説を驚きをもって迎えたが、計画そのものは以前から周辺で隠密裡に準備が進められていた。

原典より

第一次世界大戦後、中国大陸へ強圧的な進出をつづけていた日本政府は、出先機関や在住日本人をつうじて、中国の民間団体との接触と懐柔工作に意を注いでいた。—— 出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象)) より引用
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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))

村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。

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