辛酉年紀元節の大変事予言
どんな伝承か
一九二一年(大正十)二月、大本教への弾圧が決行された。弾圧の下命者は検事総長の平沼騏一郎で、紀元節にあたる二月十一日の佳日を避け、翌十二日と決定したという。当時、大本教の内部では、大正十年が辛酉の年にあたることから、この年の紀元節に何か大変事が起こると語り合われていた。辛酉の年は古代中国の陰陽五行説にいう革命の年であり、紀元節も、辛酉年の元日に神武天皇が即位したとする『日本書紀』の記事に由来する。当局が、大変事があるというこの予言の存在を知っていたことも、あえて紀元節を避けた一因であったかもしれない。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。