ムクの木を伐り父が病没
どんな伝承か
厳冬のさなかに薪が尽き、半病人の父吉松は、今の世に祟りなどというようなことはあるまいと言って、屋敷の鬼門にあるムクの大木を伐るよう喜三郎に命じた。喜三郎が芯を伐り、体重をかけて地上へ落とすと、木は隣家の小島長太郎の土蔵にぶつかり瓦を二、三十枚ほど壊した。弁償はしたが小島は何かと苦情を持ち込み、これを気に病んだ吉松の持病は悪化した。親族や友人は丑寅の方角を犯した祟りだと騒ぎ、吉松は病臥から半年ほど経た明治三十年七月、五十三歳で没した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。