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帰宅後の硬直とタヌキ憑きの危機

所在地京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内
年代明治31(1898)
登場喜三郎、母よね、上田次郎松、親戚・タヌキ憑きと診た者
出典出口王仁三郎

どんな伝承か

高熊山の修業から帰った喜三郎は、疲労しきって倒れ、翌日の午後にやっと眼をさましたが、九日の朝にはかえって手足が動かなくなり、眼も開かず口もきけなくなった。家族は亀岡から医師をよび、天理教の明誠教会の布教師や法華僧をつれて来て祈禱させたが効がない。親戚の上田次郎松という霊のことにくわしい農民が来て、喜三郎にはタヌキがついていると言い、松葉と唐辛子でいぶすことになった。次郎松が七色唐辛子をつくりに戻ったすきに、母のよねがいとま乞いをするからと殺人的な唐辛子いぶしをおしとどめ、喜三郎の顔をのぞき込んで落涙した。その涙が顔にかかると、喜三郎は手足が動くようになり、ようやく声が出たという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))

村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。

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