布部村の焼打田
どんな伝承か
出雲の広瀬領内でも、狐持ちに対する弾圧があったらしい。大宰純の『柴芝園漫筆』には、広瀬侯が狐蠱をはなはだ憎み、ひとたび百司に命じて騎卒を大挙させ、国内の狐蠱の家をことごとく囲んで焼き、その人を殲滅したと記されている。本居内遠の『賤者考』にも、領主の命で多くが刑に処され放逐されたことが見える。地元にこれに関する文献は一つもないが、口碑としては能義郡布部村に残っており、今も「焼打田」という地名があって、そこが焼打ちをした跡だと伝えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。