狐橋
どんな伝承か
下大久保で県道が交差するあたりは、荷物を運ぶ者が休むのに良い場所であった。江戸時代の寛文年間、平林寺が岩槻在から野火止へ移されたとき、一行がここで一休みすると、寺の石の扉がなくなっていた。平林寺はやむなく代わりの扉を作った。しばらくして、荒川の堤にその扉が放り出されているのが見つかり、村人たちは通禅寺あたりに棲む狐のしわざだと言い合った。のちにこの扉で橋を作ったので、その橋を狐橋と呼ぶようになったという。
原典より
下大久保の県道が交差するあたりは、荷物を運搬する者が休むのに良い場所であった。—— 浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史・自治体史(民俗)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
浦和市史 民俗編――伝説(浦和市(編)・浦和市史・自治体史(民俗))
『浦和市史 民俗編』第十章所収の伝説。埼玉県浦和市(現さいたま市)に伝わる口承を採録する。