黄金塚
どんな伝承か
大戸は、足利尊氏の武将高師直と新田義興が戦った古戦場と伝えられ、その上太寺付近に高金塚と呼ばれる塚があった。塚には、この戦いで討ち死にした尊氏の孫足利高金が葬られたともいい、黄金の鎧が埋められているとして黄金塚の別名もあった。塚の場所は明治四年に廃寺となった円能寺の跡で、そこに残る多くの板碑は、この戦の戦死者を供養したものともいわれる。塚は大戸の民家の庭にあったとされ、いまも盛り土がわずかに残るが、家の人の話では鎧などは出てこなかった。かつては遠くから見える杉の大木と塚があり、日照りの年にはここで雨乞いをしたという。
原典より
この塚はこの戦いで戦死した尊氏の孫足利高金を葬った塚ともいわれ、黄金の鎧を埋めてあるので、別名黄金塚ともよばれていました。—— 与野市史 民俗編――伝説・昔話(与野市(編)・与野市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
与野市史 民俗編――伝説・昔話(与野市(編)・与野市史)
『与野市史 民俗編――伝説・昔話』は、与野市史の民俗編から「一〇 伝説・昔話」の章だけを収めたものである。武蔵国足立郡与野にまつわる伝説と昔話二十話を、疫神や弘法大師、源頼義の伝えから、お化け地蔵・一つ目大入道・天狗隠し・猫橋のいわれなどの怪異譚まで、おおむね時代順に並べる。十五話は岡安茂生編『与野の伝説』に、ほかは『埼玉県伝説集成』『大宮市史』に拠り、再調査して題名や内容を書き改め、多くの話の末に注を付す。