他界観を映した柳田の墓地選び
どんな伝承か
柳田国男は、人は死んでも魂はこの国土を離れず、故郷の山の高みから子孫の暮らしを見守るものだという考えを、まるで自分自身の信仰のように語っていた。柳田が自らの墓所を川崎市郊外の春秋苑に決めたのも、この考えにかなう場所を選んだからだといわれる。成城の柳田家や日本民俗学会からさほど遠くなく、家族や弟子に招かれればすぐ飛んで行ける高い所で、しかも一望のもとに見下ろせる山の上が探され、生田の郊外の丘陵に決まった。多摩川に近いその丘から周りを見渡す墓碑は、柳田の他界観をそのまま形にしたものだという。
原典より
現に彼が自らの墓地を川崎市郊外春秋苑にきめるにあたって、かかる条件に適う墓域を選択し指定されたといわれる。—— 霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・1977年(昭和52年))
『霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点』は、桜井徳太郎が一九七七年(昭和五十二年)に著し、筑摩書房から刊行した論文集である。昭和三十二年から五十年にかけて学会誌や雑誌、新聞に発表した論考を収め、民俗学と歴史研究の関係、郷土の民俗像の史的復元、古代のシャマニズムと憑霊、呪いの人形、怨霊から御霊への死霊観を論じる。後半で折口信夫の巫女観と柳田国男の祖先観を検討し、巻末にあとがきと初稿発表覚書を付す。