小河内郷と小留浦の草分け四軒
どんな伝承か
小河内村は多摩川の上流に沿って谷に集落をつくり、山梨県と境を接する上手から留浦・川野・河内・原と旧村が続き、下流で氷川村と接していた。もとはこの四か村全体が小河内郷と呼ばれ、助け合いの仕組みも社会の結びつきも濃かった。維新後の自治制で四村は合併し、水没離散まで体制は変わらなかった。著者の調査当時、留浦の小字は留浦・小留浦・峰・下・奥・坂本の六つに分かれていた。そのうち小留浦は長らく十六軒の集落で、水没直前は十一戸。河村・原島・松原・山口の四軒が村の草分けとされ、なかでも河村家がもっとも古く家格が高いと見られていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊魂観の系譜――歴史民俗学の視点(桜井徳太郎・桜井徳太郎・歴史民俗学・昭和(民俗学))
民俗学者・桜井徳太郎『霊魂観の系譜―歴史民俗学の視点』。日本民俗学を歴史研究と結びつける歴史民俗学の方法を提唱し、古代から現代に至る日本人の霊魂観を追究する。I『民俗学と歴史研究』では日本民俗学の宿命・対象・方法と歴史研究との関係を論じ、II『歴史民俗学の構想』では柳田国男の重出立証法を批判・克服し、奥多摩小河内村の婚姻習俗(朝聟入り型・承認権)を作業例に郷土の民俗像の史的復元を試みる。