桶川宿の死んで蘇る息子の妖談
どんな伝承か
中山道の桶川宿に、母と息子の二人暮らしの家があった。息子は狂気というほどではないが時おりうつろになり、養生させていたが、浅草観音へ参りたいと言い出し、親類も役人も止めたのに、四、五日してこっそり家を出て行方が知れなくなった。四日後、門口の井戸に物の落ちる音がし、引き上げると息子で、その日の夕方に息を引き取ったので、翌日菩提寺に葬った。ところがさらに四日後の夜、戸をたたく者があり、開けると息子が立っていた。幽霊かと母も近寄れなかったが、本人は観音参りから帰ったと言い、泊まった先々を確かめると話に違いはない。墓を掘るとやはり息子の亡骸があった。守信はその虚実をただしたが分からないと付け加えている。
原典より
四日過ぎて夜に入、表の戸をた、くものありし故、右の戸をあければ息子なるゆゑ、大きに驚き、幽鬼の類ひならんと、母さへ側へ寄らざりしが、…—— 科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・1948年(昭和23年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
科学的教養(小泉丹・小泉丹・科学論・1948年(昭和23年))
『科学的教養』は、小泉丹が昭和二十三年に春秋社から刊行した、科学的なものの見方を説く評論である。精確さ・合理性・実証の面から科学的と非科学的の違いを論じ、河童の記録や呪いの効き目、『耳袋』の怪異談、狐憑き、幽霊・化物屋敷、人魂・鬼火・怪火を例に、日本人のものの考え方を検討する。昭和十七年に書いた前版を戦後に改稿したもので、序と起序に続く七章から成り、旧稿の終わりの二章を除いたと序に記す。