那智で老僧は実川と名乗った
どんな伝承か
約束を守って出立した熊蔵は、木津川経由で二日後に那智へ着いた。老僧は実川と名乗った。子供心には六十歳代かと思ったが、あとで分かったところでは九十二歳だという。白い総髪に眼光鋭く、不思議なのはその顔色で、ちょっと見には血色がよいとしか見えないのに光り方が異様であり、皮膚の奥に光があって気色がみなぎっていた。想像していた御堂はなく、那智本滝の上一町ばかりのところにある岩窟の、一坪ほどの横穴が住まいであった。やがて修行の日々が始まる。山から山へ谷から谷へ飛ぶように渡り、無言の行、数息観と、野生動物を友として楽しくも苦しい日々が続き、やがて冬になった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。