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太霊道の最後

所在地岐阜県恵那市武並町(太霊道大本院)
年代大正一四年
登場井村宏次、田中守平、松本道別、清水芳洲、森田正馬、太霊道主元、批判した同業者、医学界からの批判者
出典霊術家の饗宴

どんな伝承か

東京から故郷へ道場を移した後も太霊道への訪問者は絶えず、産業のない山間の寒村に民宿ブームが生まれ、殺到する郵便物をさばくために郵便局が呼び寄せられ、大正一四年にはついに国鉄の駅が設置された。丘の頂上の道場へは桜並木の美しい大参道が設けられ、登り口には巨大な双の石門が志願者たちを見下ろしていた。守平は太霊道中学の開設や精神病院の建設まで構想したが、一層の飛躍をめざして生地に建立した大本院が不測の事故で全焼する。松本道別や清水芳洲ら同業者の批判、森田正馬による医学界からの批判も相次ぎ、昭和三年一二月一四日に名古屋逓信局で倒れ、一七日に四十六歳で没した。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))

井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。

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