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霊子術の完成と太霊道の広宣

所在地岐阜県恵那市武並町
年代明治二〇年
登場田中守平、田中虎之助、守平の父
出典霊術家の饗宴

どんな伝承か

田中守平が生まれた明治二〇年前後の日本帝国は、議会制度の発足に向けた勘案に明け暮れていた。明治一八年に太政官制度が廃されて内閣が設けられ、二二年憲法公布、翌年教育勅語公布と、やつぎばやに日本主義への布石が進む。こうした動向は岐阜の寒村に生まれ育った守平を国粋主義者に育てあげ、十一歳の時には地方雑誌『美徳』に「忠君愛国士の平生」と題する一文を投稿させた。元禄の大庄家田中興一の八代目興八の息子虎之助の三男に生まれたが、家督は零落し赤貧洗うがごとき暮らしであった。明治三三年に小学校教員となるも周囲と衝突して同年辞職し、十六歳で遊学のため故郷を去る。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))

井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。

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