山間の一寒村に太霊道志願者が殺到し
どんな伝承か
民衆の不安の無意識衝動は田中守平の霊術家資質をよびさました。東京から故郷に道場を移した後も、人々は続々と道場を訪れる。現地取材によれば、山間の一寒村は訪問者をさばききれず、産業のない村に民宿ブームがつくり出され、殺到する郵便物をさばくために郵便局が呼び寄せられ、ついには大正一四年、国鉄の駅が設置された。丘の頂上にある道場に向かっては桜並木も美しい大参道が設けられ、その登り口には巨大な双の石門が志願者たちを見下ろしていた。何もかもが順調にいっているように見え、守平は太霊道中学の開設や精神病院の建設まで構想していたのである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。