さようなら、天然居士
どんな伝承か
天然の死後、門人たちは相談のうえ顕彰の石碑を建てた。碑は故郷の和知村ではなく静岡市にあると、天然の子・桑原碩郎が著者に教える。著者らは静岡駅から音羽町の清水山公園へ向かうが、公園は山そのもので登り口が何本もあり、交番でも所在は知れなかった。夜、線路沿いに西へ二百メートルほど進んで細いあぜ道を登った同行の尾崎が、樹木に覆われた碑を見つける。黒みかげ石の五尺はありそうな碑で、草書体で「天然先生、霊術記念碑」と刻まれ、海に向けて建てられていた。建立を決意したのは静岡の一番弟子・岸本一念で、それは大正九年四月のことであったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。