宮川の池の穂高見命の祠
どんな伝承か
上高地温泉で一夜を明かした著者は、休養の一日を使って付近の霊境を探ろうと、朝食後に川向こうの森へ入った。五、六寸もある霜柱を踏みしめ、雪から顔を出す寒紅梅や、老木の立つ古い塚を眺めながら歩くと、田代の池と宮川の池という二つの霊池があった。水面は広くないが小島が浮かび、登山客が信濃松島と呼ぶのももっともな眺めだった。宮川の池のほとりには穂高見命をまつる小さな祠があり、今は古びて熊笹に囲まれ訪れる人も少ないが、昔は霊験あらたかで参詣人が多かったという。著者は祠の前で修養し、焼岳登攀の幸先を祈ってから宿へ戻った。
原典より
宮川の池畔には一個の小祠がある、穂高見命を祭れる所なりとて今は 古び熊笹四園を包んて人の訪ふものも少なき由なれ共、…—— 修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
修養と通力(高橋宮二(逐堂生)・1913年(大正2年))
『修養と通力』は、高橋宮二が著し、大正二年に東京宝文館から発行した、深呼吸による精神修養と千里眼の実験の記録である。第一編「実験四年」は、修養の方法と焼岳での雪中の修養を述べ、千里眼の能力を得た妻貞子を明治四十三年から四年間養い、福来友吉博士らの立ち会いで透視と念写を試みた経過を記す。第二編「山の趣味」は附録の紀行で、北アルプスの大黒鉱山で雪中に半年埋もれた人夫六人の遺体を片付けた顛末と、黒部谷や中津川への旅を収める。