札を待って休み日とした南小河内村
どんな伝承か
南小河内村では慶応三年十一月四日、まだ札が降らないうちから村中が休み日と決めていた。おそらく村から村へ順に祭りが回ってくる手はずが整っていたのだろう。村では大名行列と太々神楽をそれぞれ一組ずつ仕立て、山車もこしらえて、三日のあいだ練り歩いた。往来へ繰り出すころには気分は高まり、老いも若きも男も女も騒ぎに加わって、女は男に男は女に姿を変え、顔を絵の具で塗りたくった滑稽な一団まで行列に出たという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。