牟呂村・二夜三日正月の行列
どんな伝承か
慶応三年七月十八日の七つ時、王西村の牛頭天王社を出発した行列は、伊雑宮の御祓を杉の箱に入れて竹の先につけ、王西村の人々を先頭に中村・公文・市場の人々が供奉した。村人たちは手巾や三尺を村ごとに揃え、踊りながら「三百年は大豊年の古哥」を歌って進み、道々中村の者は餅を、市場村の者はまんじゅうを投げた。牟呂八幡宮に着くと拝殿の西の間に高机を立てて御祓を飾り、御神酒と燈明を献じ、朝夕の神事を行うこととした。これが「二夜三日正月」である。
原典より
* 御鍬祭の流行* **II 牟呂村の「二夜三日正月」*** 「牟呂の神異」* 七月十四日――子どもの死* 七月十五日――妻の死* 七月十六日――「二夜三日正月」の決定* 七月十八日――「二夜…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。