吉田船町・六か所への御札降り
どんな伝承か
三河吉田宿の船町には、慶応三年六月二十一日に伊勢内宮・春日大社・秋葉三尺坊大権現などの御札が町内六か所へ降ったとする記録がある。町ではこれを祝って二夜三日にわたり御供えと燈明をあげ、一日を遊び日として俄・投餅・蒔銭を行い、酒や甘酒を施行したという。船町の「渡船場諸雑記」に見える記述だが、原史料は戦災で失われている。「留記」は船町の降札を七月十四日の牟呂村より後とするので、六月二十一日は七月二十一日の誤りではないかとも思われる。
原典より
* **II 牟呂村の「二夜三日正月」*** 「牟呂の神異」* 七月十四日――子どもの死* 七月十五日――妻の死* 七月十六日――「二夜三日正月」の決定* 七月十八日――「二夜三日正月」の開始*…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。