牟呂村・連日の御札降り
どんな伝承か
牟呂村では慶応三年七月十八日から「二夜三日正月」と称する臨時の祭礼が始まったが、二十日で終わるはずのところ、十九日には坂津村・公文村で九枚、二十日には弁天社に伊勢内宮の御祓、二十一日には松嶋新田の元締の山、二十二日には東松嶋新田の民家にと、連日のように村内各地で御札降りが相次いだ。そのたびに手踊りの行列や酒の振る舞い、投げ餅などの祭礼が繰り広げられ、牟呂村における御札降りは最終的に十一月三日まで記録されている。
原典より
* 御鍬祭の流行* **II 牟呂村の「二夜三日正月」*** 「牟呂の神異」* 七月十四日――子どもの死* 七月十五日――妻の死* 七月十六日――「二夜三日正月」の決定* 七月十八日――「二夜…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。