一局を望んで現れた近藤左司馬
どんな伝承か
宝暦のころ、加賀の小松の禅寺で小坊主だった快禅は、師に劣らぬ碁の打ち手と評された。のちに宗旨を改め、江戸の芝増上寺の所化となってからは腕がいっそう上がり、日本にこの僧に勝てる者はいないとまで書き留められた。上野厩橋の武士近藤左司馬は碁を好み、二子で快禅に二度勝って得意になったが、先の手合わせを望むと、まだ技量が届かぬと退けられた。ある夜、青ざめて病み衰えた左司馬が快禅を訪ね、他生の思い出に一局をと乞う。対局は凄まじく、快禅はやっと四目勝ちを収めた。左司馬は礼を述べて掻き消え、同じ時刻に他界していた。
原典より
寶暦年中加賀の國能美郡小松禪宗寺の小坊主なりし快禪は、師に劣らぬ囲碁の名手と仰がれ、後に宗旨を變へて江戸芝増上寺の所化となりし後は、技量益々伸て際限なく、同七年馬場文耕著作『當世武藏野俗談』にも、日本にて此僧に勝す人ある…—— 幽霊は語る(梶天真・幽霊研究・大正〜昭和(戦前)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
幽霊は語る(梶天真・幽霊研究・大正〜昭和(戦前))