稻荷さんが明神さんをぶん撲る話
どんな伝承か
新町橋筋のある家で、御降り祝いの本膳が並び、踊子が我先に席に着いた。床の間を背に悠然と坐り込んだのは髭むしゃらの筋骨たくましい男で、自分は玉高大明神だと名乗った。すると下座から、白麻の千早に御幣を持った顔色の蒼白な痩せた若衆が立ち、位なき者が上座に着くとは何事かと咎め、自分は伏見の稲荷だと名乗る。下れと迫っても明神が承知しないので、若衆は千早の袖をまくって拳を固め、明神の頭を丁々と打った。大の男はただ悲鳴を上げるばかりで、居並ぶ踊子数十人も身動き一つできなかったという。
原典より
新町橋筋の或る家での事である。—— 阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
阿波えゝぢやないか(山口吉一・民俗・幕末世相史・昭和(対象は幕末))
概観篇では御降り(御札降り)に関する騒擾、伊勢神宮への御蔭参り・抜参りを慶安・宝永・明和・文政・慶應と時代別にたどり、慶應のええじゃないか、阿波のええじゃないかへと展開。幕末阿波(徳島)の御札降り・群集乱舞・世直し的民衆運動を、各事例の冒頭に【日付】【場所】【人物】【状況】マーカー付きで網羅した民俗・世相史。