森鷗外の筮竹から始まった易者の道
どんな伝承か
赤坂区新町で「花咲爺」を名乗り、見料を酒で受け取っていた老易者には、それなりの来歴があった。もとは奥州出羽藩の武士で、名を中島直清、号を竹高といった。一時は南洋との貿易に手を出したがことごとく失敗し、明治二十八年の日清戦役では従軍している。金州に滞在していたとき、兵站部の軍医司令官であった森鷗外の知遇を得て、鷗外が陣中で用いていた筮竹を譲り受けた。それが占いを始めるきっかけになったのだという。武士から貿易商、従軍を経て路地裏の易者へという道筋が、その風変わりな身の処し方の背景にあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本怪奇集成-明治大正昭和篇(富岡直方編著・日本怪奇集成・昭和初期(推定昭和2-3年))
明治・大正・昭和の怪奇譚(日本怪奇集成)/生首と幽霊の怪/狐狸のいたずら/怪盗と世相の怪異/各時代の不思議な事件