高田馬場の堀部安兵衛のあだ討
どんな伝承か
江戸時代の元禄七年(一六九四)二月一一日、赤穂浪士堀部安兵衛の叔父菅野六郎左衛門は、茶坊主村上庄左衛門との口論がもとで決闘を申し込まれ、高田馬場で果たし合いをすることになった。知らせを受けた安兵衛が駆けつけたときには果たし合いは終わり、叔父は倒れ、敵は祝盃の最中だった。切り込もうとしたがたすきがなく、縄をつなぎ合わせていると、見物人の中から一七、八の娘がしごきを解いて差し出した。安兵衛はそれをたすきにして敵中に割って入り、見る間に八人を切り倒したという。しごきを貸したお幸は堀部弥兵衛金丸の娘で、のちに安兵衛は堀部家の養子となった。
原典より
場所 戸塚町一丁目四五一番地 高田馬場跡中央で、現在西北診療所のある所時代 江戸時代 元禄七年(一六九四)二月一一日赤穂浪士堀部安兵衛の叔父、菅野六郎左衛門は、四国の松平左京太夫の家臣で、広間勤番の茶坊主村上庄左衛門とふ…—— 新宿と伝説(新宿区教育委員会) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
新宿と伝説(新宿区教育委員会)
新宿区教育委員会編『新宿と伝説』を全62話・伝説(1見出し=1話)単位で収録(緒言・序・名義・解説・和歌・注は除外/内包)。所在地(郡村区・社寺)を付して集成。