将門塚を掘って続いた大蔵省の死
どんな伝承か
大手町の将門塚は、維新後は大蔵省の構内に取り込まれ、蓮池の南に高さ二間半ほどの土盛りとして残されていた。大正十二年の大震災で庁舎ともども損なわれ、その年の十一月、塚を整理する機会に発掘が行われると、下から小さな石室が現れた。中の土には比較的新しい瓦や陶器の破片が混じっていたが、正体は分からずじまいで、石室は壊され蓮池も埋められて仮庁舎が建った。すると省内で病人が続き、工事関係者に死者が相次いで二年で十四人に及び、怪我はなぜか足が多かった。塚を壊した祟りだと噂が広まり、昭和二年に鎮魂祭が営まれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
将門伝説——民衆の心に生きる英雄(梶原正昭・矢代和夫・(平将門伝説の研究書))
梶原正昭・矢代和夫『将門伝説——民衆の心に生きる英雄』を、論考の節単位で全67事例として収録した研究書(地域伝説集ではない)。平安中期の平将門(承平天慶の乱)をめぐる伝説を、英雄の死と伝説の誕生(冥界・調伏・怨霊・首の怪異・七人の影武者・妙見信仰・石化)、落人たちの運命(将軍太郎良門・如蔵尼の堕地獄と救済・滝夜叉姫・桔梗塚の寵妃・後裔と将門遺跡)、将門伝説の展開(馬の文化・関東一円の分布圏・文芸化・首塚の祟りと再評価)として論じる。