一日橋由来
どんな伝承か
南風原町神里に伝わる話。南山の他魯毎の弟、南風原按司守忠は、南山が落ちたとき、兄と一緒に討ち死にしては祖先を祀る者がいなくなると考え、具志頭間切の波名城へ逃げ、首里に仕えるが親しかった安里大親のもとに落ちのびた。追手の噂を聞いた安里大親は、与那原の浜から山原の汀間へ守忠を逃がした。三年後に具志頭の安里村へ戻った守忠は安里大親の娘を妻とし、生まれた子が波名城大屋である。のちに尚円王の子・尚真の子守役をウフヤクに占わせ、与那原の浜で最初に出会った波名城大屋が選ばれた。彼は尚真王の代に具志頭間切の地頭を勤め、波名城親方と呼ばれた。親方が六月の二十三日に没したとき、葬列の通る識名橋が流されていたので、王はどんな橋でもよいから一日で架けよと命じ、津嘉山あたりの人夫が一晩と二日で架けた。もとは識名橋と呼ばれたが、一日で架けたので一日橋と名付けたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第15巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第15巻』所収の「文化叙事伝説」「自然説明伝説」全185話(奄美・沖縄=南西諸島)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。