有頼の立山びらき
どんな伝承か
『和漢三才図会』によれば、文武天皇は大宝元年二月十六日の夜、夢に阿弥陀如来が枕頭に立ち、四条大納言有若に越中を領させれば国家は安穏であろうと告げたという。天皇は有若を越中国司に任じ、有若は嫡男有頼とともに保伏山へ移り住んだ。辰巳の方から飛来した白鷹を借りて有頼が鷹狩に出ると鷹は飛び去り、森尾権現が、次いで力尾天神と名乗る老人が行方を教えた。なお山深く入ると猛熊が現れ、射ると熊は玉戸窟へ逃げ込む。窟の中には三尊の仏像があり、阿弥陀の胸に自分の矢が立っていた。如来は衆生を済うために此の山に現れたと告げ、有頼は慈朝師に受戒して慈興と号し、立山を開いたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本伝説大系 第6巻(日本伝説大系編集委員会・日本伝説大系(みずうみ書房)・現代(編纂)/伝承(口承))
『日本伝説大系 第6巻』所収の「文化叙事伝説」全44話(福井・富山・石川=北陸)を、各話の伝承地(市町村〜字レベル)とともに収める。